思いつくままに

その日の出来事や回想を綴ります

差し入れ

一昨日、伯母が歩道で転んで後ろ頭を打ち、救急車で病院に運ばれた。幸い頭の中は異常なく、外傷だけで4針縫って家に帰った。その話を聞いて、私は昨日お見舞いの差し入れに午後からおでんを作って訪問した。チャイムを押すと、「akoちゃん?」と、伯母の声が。え?伯母さん起きてるの??と驚いていると、やがて玄関に出て来られたのは伯母だったのでびっくりしてしまった。台所にいた従姉も出てきた。「伯母さん休んでなくていいの?」と聞くと、従姉が「本当は休んでないといけないんだけど、どうも動きたいみたいで・・・。あまり行動を制限するのも、気持ちのためによくないから、自由にしてもらってる。」とのこと。転勤族の従姉の夫が4月からここ地元に転勤になり、近くに住むようになった矢先だったので、伯母さんも随分心強いと思う。従姉は私より4つ年上で、子供の頃は憧れの存在だった。何でもできてやさしくて、成績も優秀で子供の私から見たら欠点なんて見えなかった。伯母も従姉も私の大したことにない気遣いを喜んでくれて少しの時間玄関で和やかに話し、私はもう一人の伯母にも同じものを届けた。こちらの伯母にはお手製の聖句カードも渡した。「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、/ 白髪となるまで、/ あなたがたを持ち運ぶ。/ わたしは造ったゆえ、必ず負い、/ 持ち運び、かつ救う。」(イザヤ書46章4節)
2人の伯母は、夫に先立たれている。こちらの伯母のほうが歳が上で、御年90を超えている。
「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。」(ヤコブの手紙1章27節)
聖書をただ読むだけではなく、書かれていることを実践していけるようになりたい。
夜に母から電話があり、90を超えてるほうの伯母から、私がおでんをもってきてくれて、涙が出るほどうれしかったので、お礼の電話をかけたいから電話番号を教えてほしいということだったが、母はそんなことしなくても伝えておくからと言ったそうだ。でも、せっかくそう言ってくれたのだから、今日私のほうからかけてみようと思う。