思いつくままに

その日の出来事や回想を綴ります

香り

私はオードトワレをつけている。3,300円の安物なので、1-2時間で香りは消えてしまう。だから、お昼前に一度つけ足しをする。





私がオードトワレをつけるようになったのは、4年前に仕事の場所の移動があって、今の場所に移ってきて暫くしたときだった。障害者雇用枠の私たちは、それまで私たちだけが同じ部屋で仕事をしていた。新しい場所では、多少ほかの人の出入りもある。30代の若い女性が廊下を通った時、私と同じ部屋で仕事をする男性の先輩(先輩といっても年齢は30代だが)が、「Aさんはいい香りがする」「BさんとAさんはまた香りの種類が違う」などとおっしゃるものだから、「私も30代の頃はつけてたんですけどね~」と言うと、「今だって、つければいいじゃないですか」とおっしゃったので、その言葉をまともに受けてつけるようになった。40過ぎてからは加齢臭も気になっていて、対策に悩んでいたというのもあった。

ある日、隣の部屋で仕事をしているとっても素敵なAさんが、「akoさん、柔軟剤は何を使っておられるんですか?」と聞いてこられた。私が「え?」と聞き返すと、「すごくいい香りがするので、柔軟剤は何を使っておられるのかな~と思って」と言われたので、「それは柔軟剤じゃなくてオードトワレの香りだと思います」と答えて、何を使っているのかを話した。すると彼女は自分が使っているオードトワレの話もしてくれて、香りの話で盛り上がった。部屋を出て行くとき、彼女は「お仕事中にお邪魔しました。またキラキラした話ししましょうねー」とおっしゃって自分の部屋に戻って行かれた。
私みたいなシニアの障害者雇用者を一人の女性として対等に扱ってくれたことに驚いてとても嬉しかった。でも、この人工的なオードトワレの香りは残念ながら、一時的なもので持続性がない。仕事が終わって帰る頃にはとっくに消えてしまっている。


聖書には「キリストの香り」と言われるもののことが書かれている。


「愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」(エペソ人への手紙5章2節)


「わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。」(コリント人への第2の手紙2章5節)


作り物ではない、持続性のある、本当の価値ある香りを身に着けられたらどんなに周囲の人に良い感化を与えることができるだろう。そんな人になるためには、聖霊を求めて真剣に祈り、真剣に聖書を学び、その教えを実践することだろうか。そうすれば、何を語らなくても神様の愛を周囲に感じていただくことができるのだろうか。そんな人になりたいと、強く憧れている。