思いつくままに

その日の出来事や回想を綴ります

心の空洞

食べ物にはこだわりがないと言いながら、またも食べ物の話。ここまで来ると、もはや私は食べることに執着してるのに自覚がなかっただけなのかと思わされる(笑)


今日、同僚から隣の市の有名な老舗の焼き菓子を2個いただいた。1つはフィナンシエで、1つはマドレーヌだった。甘いものは大抵好きな私なのだがいちばん好きなのがケーキだとすると、その次にフィナンシエが好きだ。でも、平日は基本的に甘いものは食べないようにしている。金曜日になると1週間頑張ったご褒美にちっちゃなスイーツを買って帰る。毎日食べてたら太りやすい体質なのですぐに体重が増えてしまうし、それは健全な食生活とは言えないかなと思う。


食べることにこだわりはなくても食事の栄養バランスだけは気をつけている。子供の頃、料理がそんなに上手ではなかった母がバランスだけはきちんとしてくれていたので、おいしいかおいしくないかに関係なく、野菜料理は義務として薬を飲むような感覚で食べていた。今もその感覚にはあまり変わりがなく、おいしくなくても野菜は食べるおかげで特に食事が原因の病気は持っていない。


ただ、私は18歳の頃から20代終わりにかけて、医師から摂食障害というという診断を出されたことはなかったが明らかに異常に食べていた。仕事のストレスと言ってしまえばそうだったのかもしれないが、高校時代に父が亡くなり、経済的な事情で高卒後に自分の希望に沿わない就職を余儀なくされ、絶望の中で生きる意味を求めてもがいていた。今で言うパワハラもあったのでなおさら辛かった。心が満たされない分、何かで満たそうとして、手っ取り早いのが食べることだったんだと思う。食べれば食べるほど情けなくなるのに、やめられなかった。


パスカルは、「人の心の中には神が作った空洞がある。その空洞は創造者である神以外のものによっては埋めることができない。」と言った。いくら食べても、いくらいい服を着ても、いい家に住んでも、どんなにいい持ち物を持っていても、自分の努力で名声や評判を得たとしても、生まれながらの人の欲望には際限がなく、もっと、もっとと求めてしまうが、それらのものは皆虚しい。人の心を本当に満たしてくださることができるのは神様だけだ。聖書を学んで教会に行くようになったからといってすぐに摂食障害が治ったわけではなかったが、今はすっかり解放された。心に虚しさを感じている人に、神様の愛を知ってほしいと切に願っている。


わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。
それゆえ、わたしは絶えずあなたに
真実をつくしてきた。(エレミヤ書31:3)