思いつくままに

その日の出来事や回想を綴ります

希望

食べることにこだわりがないと言いつつも、3日続けて食についての記事を載せることになる(笑)
私はお腹が空くのが人より随分早いような気がする。朝起きるともちろん空腹を感じているし、朝食を7時頃にとるとして、9時頃には既にお腹が空いている。
それに、私は食欲がなくなるということが今まで滅多にない。よほど高熱が出ない限り。


そんな私が不思議な経験をしたことがあった。月に一度、早朝に全国の信徒の有志によって電話祈祷会が持たれている。5年ほど前のある早朝、その電話祈祷会に参加した後、朝食の準備をするために1階へと階段を下りている途中、あれ?お腹が空いてない、と思ったのだ。いつもなら朝食前は飢餓状態なのに。もしかして、心があまりにも満たされたから?・・・そのときにふと思い出したのが、イエスが5つのパンと2匹の魚で5000人の群衆を満腹にしたという奇跡の話だった。その奇跡は、映画か何かでも見たことがあったが、イエスが感謝してパンを裂くと、そのパンが倍に増え、またそれを裂くと倍に増え・・・という映像だった。だから私は本当にイエスが食べ物を増やされたのだと思い込んでいた。でも、そのときの群衆は、イエスが病人たちを癒されるのを目撃して、霊的に満たされていたためにお腹が空いていなかったのではないだろうか、と勝手に想像した。
ちなみに、私が電話祈祷会の後に空腹を感じなかったのはこの時一度だけで、その後は毎度空腹を感じているのだから、私がいかに信心が浅く俗人であるかは明白だ(笑)


もちろん、仙人じゃないんだから人は生きていくためには食べなければいけない。
イエスは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである。」(マタイ4:4)と言われた。パンももちろん必要だけど、それはただ命を維持するためのもの。人を本当に生かすのは神の言葉。
ダビデは、「あなたのみ言葉はわが足のともしび、/ わが道の光です。」(詩篇119:105)と言った。聖書の言葉は苦しみや悲しみの中にある人に慰めと癒し、励ましを与え、希望を与える。
私たちを造ってくださった神様御自身がこうおっしゃっている。「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」(エレミヤ29:11)
この希望をすべての人が持つことができますようにと願っている。