思いつくままに

その日の出来事や回想を綴ります

まだ回復半ば

まだまだ回復途中で、朝も起きづらくて朝食の準備はしてもらった。
食料の買い出しには出かけたものの、開店時間より早く行ってしまったり、買い忘れをしたりとぼんやりしたことばかりしてしまった。昼食、夕食の準備はできたものの、食べ終わった後なかなか椅子からおしりが持ち上がらなくて、しばらくそのまま座っていたり。でも包丁が持てるようになったから助かった。やっとの思いで後片付けをして、億劫だったけれど何とかお風呂にも入れた。しかも食欲はあるのにこんなに動けずにいると、体重は増えてくるので女子は落ち込む。
一体いつになれば普通に戻れるのか、休日はあと一日しかないのに焦ってしまう。もう少しの辛抱。

みじめな時の自分を記録する

鬱の間は、体は動いてくれないけど、頭の中はネガティブな思考で結構動いている。
でも、それを頭の中で思っているだけで、文字にしたりできない。
そのうち回復してくるとネガティブな思考も次第に薄れていき、通常に戻ってしまう。通常に戻ってしまうと、鬱の間にできずにいた家の用事やら何やらで慌ただしく、辛かった時に何考えてたかなんで、振り返ってる暇はなくなってしまう。
でも、どうにかして、みじめな自分のことを書き留めておかないといけないなと思っていていつもできずにいたけど、今回は書き留めておきたい。
私には躁鬱に加えて冬季鬱の症状も出る。月曜日に仕事に行けないときは、本当に消えてしまいたくなる。ほかの人たちから、(また月曜日に休んでいる)と思われているだろうなとそれがとても辛い。だから、今週の月曜日は何があっても休むものかと、必死の思いで出勤した。なるべく疲れないようにゆっくり仕事したけど、帰宅したらバタンキューだった。火曜の朝、「今日はもうダメだ」と思ったけど、これ以上欠勤すると、減らされるお給料を補填するお金ももうほとんどない。1時間遅れたけど出勤した。水曜日、ふらふらしながら出勤。遅れて出勤するのもすごく勇気が要るけど。でも午前中しかもたなくて、早退した。やっぱりしんどい時に無理はしたらいけないっていうことだなと、今更ながら改めて痛感して、木曜日と今日は腹をくくって休んだ。こういうときは仕事を辞めたくなる。でも、鬱のときに大きなことの決断をするのはやめたほうがいいと、よく本にも書いてある。だから思いとどまった。今日は少しずつ家の用事をしてリハビリした。ピアノが弾きたかった。ピアノを弾けば、気持ちが少し楽になって、苦手な家事に向かっていけることもある。でも、夫の手前、夕食の後片付けをほったらかしでピアノを弾くわけにもいかず、しんどかったけど必死で洗い物を片付けてからピアノを弾いた。
まだよくなる中途段階でぎこちない文章で
とてもつまらない記事になってしまったけど、
同じ病気の人が共感してくれたり
健常者の方が、少しでも理解してくださったら
ありがたいです。

人からしてほしいと望むことは

孔子は論語で「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」と言っている。
イスラム教にも「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである」という言葉があるらしい。
平たく言えば「人からされたくないことは、人にもしてはいけない」という教えだ。
イエス・キリストの言葉に「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」(マタイ7:12)というものがある。
私はこの言葉のほうが個人的には好きだ。より積極的な優しさを感じるから。ただ、おせっかいやありがた迷惑にならないように、本当にその人がしてほしいと思っているかどうか見極める必要があるし、それは祈っていかなければならないことかなと思う。
神様、今日、誰かに親切にしてあげることができるように、私の中にそのような愛を与えてください。
今日が皆さんにとって良い一日でありますように、神様のお守りをお祈りしています。