思いつくままに

その日の出来事や回想を綴ります

人はそれを天然と呼ぶ

ほっとするとか、癒されるとか、のろまの私に対してそう言ってくれる人が結構いらっしゃる。これはどうも生まれつきのもので、私がそう努力したためにいただいている評価ではない。また、とにかくどんくさい。


小学6年生の時にこんなことがあった。理科室で授業をしていた時、顕微鏡で何かを観察することになった。普通、レンズをガラス板にギリギリ近づけてから少しずつ離していって焦点を合わせる。私はそれまでも何度もそれを経験していてわかっていたはずだったのに、その日はなぜか逆にガラス板に近づけるほうにを焦点ハンドルを回してしまった。その結果、グシャリと音がしてガラス板が割れてしまった。理科の先生は担任の先生ではなくて、他のクラスの担任で理科を得意とする先生に習っていたのだが、とにかくものすごく怖い男性の先生だった。私はいくら怖くても謝らなければと思い、こわごわと先生の机に近づいて行って「先生・・・」と言おうとした矢先に、先生の机の脚元に置いてあった大きめのビーカーを蹴っ飛ばして割ってしまったのだ。先生は「お前は、どこに目ん玉つけてるんだ!」と怒鳴られた。おとなしかった私は何も返せず、下を向いてしまう。続けて先生は、「それで、何の用だ?」「ガラス板を割ってしまいました。」「・・・。」先生も呆れて一瞬無言になられたが、その後、小さな声で「割ってしまったものは仕方ない。」とだけ一言おっしゃり、私は解放された。


今も職場で何かと全くそんなつもりはないのにドジなことをしたりボケたことを発言したり、それを人は天然と呼ぶようだ。意識していないのでいちいち覚えていないのだが、何かどこかずれているらしい。でも、そのことによって場がなごみ、癒されているらしいので、ありがたい話だ。何の苦労もせずそのようにさせてくださるのは、神様が私の中にそういう性質を与えてくださったからにほかならない。これもタラントと言うのだろうか。感謝なことだと思う。さあ、今週も頑張ろう。