思いつくままに

その日の出来事や回想を綴ります

運動会

子供の頃は体育が苦手で、運動会が大嫌いだった。当日の朝になると吐き気がしたくらいだ。特に瞬発力の必要な競技はからきしダメだった。ただ、何もかもが苦手だったわけではなく、長距離と懸垂、スキーは人並み以上にできた。それは置いといて・・・。
今日は4年ぶりの校区民運動会だった。いつもは秋にあるのだが、学校の都合で今日になった。
ほとんどの人はマスクをしてなかったが、臆病な私はマスクを外せない。応援だけの予定だったが、玉入れの欠員が出て急遽出場することになったので、開会式にも出てラジオ体操をしただけで疲れてしまった(笑)
以前に玉入れに出た時は1個も入らなかった。4年ぶりの玉入れは、網の位置が意外と高く感じ、なかなか届かない上に30秒は私にとっては結構長く感じて息切れがした。それでも珍しく1~2個は入ったようだ。数を数えると、他の町と同数の2位となり、3位を決めるためにもう一度30秒を戦わないとならなくなった。もう力は使い果たしている。第二弾の後半はバテバテで口に出して「疲れた・・・」と言ってしまった。仲間の士気を下げてしまったかもしれない。申し訳なかった。結果は残念ながら3位。それでも上位なので、気分はよかった。
他の競技も割合成績がよくて、花形競技のリレーでは優勝したので応援のテント内はとても盛り上がった。
久々に近隣の皆さんと多少なりとも言葉を交わすことでできて良いひとときとなった。
私が今日の運動会でいちばん心を打たれたのは、リレーの予選で、ある町のトップバッターの男の子が走っている途中でバトンを落としたのか転んだのか、とにかくビリになってしまい、次にバトンを受け取った小さな女の子がそれでも涙を手でぬぐいながらビリのまま走り切ったこと。こういうのを見せられると胸がしめつけられるけど、その町だけでなくどこの町のテントもその女の子に声援を送っていて、ああ、運動会って成績だけじゃないよなってしみじみ思わされた。


長距離がまあまあ得意だった学生時代だが、今はおそらく走れないだろうと思う。
パウロは信仰者を競技者に例えることがある。
「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。」(Ⅱテモテ4:7,8)
そんなことが言えるほど立派な信仰なんて持ち合わせていないけど、それでも私の弱さも含めて認め、愛してくださる神様は、「のろまだしたくさん転んで傷だらけになりながらもよく最後まで走り切ったね」と褒めてくださるのを楽しみに、これからも私なりに走って、というか、歩んでいきたい。