思いつくままに

その日の出来事や回想を綴ります

友の顔をとぐ

昨日は夫が食事会のため、夕食の準備をする必要がなかった。

こういう日の自分の夕食は、残り物とか最高でも冷凍スパゲッティたで済ませてしまう。

自分一人のために、誰が手をかけて料理なんかするもんか!だよね笑

それで夕方の作業が減るし夫も帰りはそんなに早くないので時間があるから、敬愛する信仰の友、I姉妹に相談に乗っていただきたいことがあったので、少しお時間をいただきたいとお電話すると快く了解してくださり、お宅を訪問することになった。そのことが決まって少ししてからLINEをいただき、食事の用意をするからいらっしゃいとおっしゃってくださったので、喜んで了解した。

仕事から帰宅後、ピアノの練習だけ済ませて伺った。何も気を遣わないとおっしゃったのに手のかかったすごいご馳走・・・。




 

たけのこは今年私は初めてだったし、お味噌汁に入っていた家庭菜園採りたての春菊のいい香りが食欲をそそった。どれもとてもおいしくいただいた。思いがけない幸せなひとときに感謝。

 

そしていくつかの相談に乗っていただき、納得する回答をいただけて気持ちもスッキリした。それだけでなく、神様のこと、聖書のこと、信仰のこと、伝道のことをお互いに話しているとわくわくして燃えてくる。だから私はI姉妹と話すのが大好きだ。お電話でも時間が許す限り話してしまう。疎遠な親戚に比べたら比べものにならないほどの関りだと思っている。こんな素敵なI姉妹を私の信仰の友として与えてくださっている神様に感謝。昨日も感謝することが山ほどあった。

 

「鉄は鉄をとぐ、/ そのように人はその友の顔をとぐ。」箴言27章17節

香り

私はオードトワレをつけている。3,300円の安物なので、1-2時間で香りは消えてしまう。だから、お昼前に一度つけ足しをする。





私がオードトワレをつけるようになったのは、4年前に仕事の場所の移動があって、今の場所に移ってきて暫くしたときだった。障害者雇用枠の私たちは、それまで私たちだけが同じ部屋で仕事をしていた。新しい場所では、多少ほかの人の出入りもある。30代の若い女性が廊下を通った時、私と同じ部屋で仕事をする男性の先輩(先輩といっても年齢は30代だが)が、「Aさんはいい香りがする」「BさんとAさんはまた香りの種類が違う」などとおっしゃるものだから、「私も30代の頃はつけてたんですけどね~」と言うと、「今だって、つければいいじゃないですか」とおっしゃったので、その言葉をまともに受けてつけるようになった。40過ぎてからは加齢臭も気になっていて、対策に悩んでいたというのもあった。

ある日、隣の部屋で仕事をしているとっても素敵なAさんが、「akoさん、柔軟剤は何を使っておられるんですか?」と聞いてこられた。私が「え?」と聞き返すと、「すごくいい香りがするので、柔軟剤は何を使っておられるのかな~と思って」と言われたので、「それは柔軟剤じゃなくてオードトワレの香りだと思います」と答えて、何を使っているのかを話した。すると彼女は自分が使っているオードトワレの話もしてくれて、香りの話で盛り上がった。部屋を出て行くとき、彼女は「お仕事中にお邪魔しました。またキラキラした話ししましょうねー」とおっしゃって自分の部屋に戻って行かれた。
私みたいなシニアの障害者雇用者を一人の女性として対等に扱ってくれたことに驚いてとても嬉しかった。でも、この人工的なオードトワレの香りは残念ながら、一時的なもので持続性がない。仕事が終わって帰る頃にはとっくに消えてしまっている。


聖書には「キリストの香り」と言われるもののことが書かれている。


「愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」(エペソ人への手紙5章2節)


「わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。」(コリント人への第2の手紙2章5節)


作り物ではない、持続性のある、本当の価値ある香りを身に着けられたらどんなに周囲の人に良い感化を与えることができるだろう。そんな人になるためには、聖霊を求めて真剣に祈り、真剣に聖書を学び、その教えを実践することだろうか。そうすれば、何を語らなくても神様の愛を周囲に感じていただくことができるのだろうか。そんな人になりたいと、強く憧れている。

おばあちゃんありがとう

自分自身の中に自慢できるものは何もないけれど、私は自慢できるものをたくさん持っている。例えばかわいい愛犬、愛猫、やさしい夫(書く順番が逆ない?笑)、母、弟など、家族のみんな。親戚の人たちもみんな大好きで、嫌いな人は一人もいない。「たくさん持っている」といったけれど、過去形もある。亡くなってしまった祖父母や伯父、伯母、従兄たち。
今日はその中で、母方の祖母の思い出を書こうと思う。


母は3人きょうだいの一番上で、祖母にとっては私は初孫だったので、特別にかわいがられた。母の実家は市内でいちばん大きな神社の近くだったので、春と秋のお祭りになると母のきょうだいの家族はみんなそこに集まって食事をしたのだが、その食事を祖母は一人で準備してくれていた。中でも定番は茶わん蒸しで、必ず作ってくれた。子供たちの好きな鶏のから揚げやポテトサラダ、お刺身や酢の物や・・・。どれもとてもおいしかった。
父が私が高1の時に食道の静脈瘤の手術で入院した時、母は父に付き添って病院で寝泊まりした。弟と2人だけになる我が家に、祖母は2キロの道のりを食材を持って歩いて来てくれて、夜は泊ってくれた。朝ごはんも、お弁当も作ってくれて、それから私たちを学校に送り出し、自分の家に帰って行く、そんな毎日が暫く続いた。ある日は、自分の家で鶏ガラからスープを作って空いた茶筒に入れて持ってきて、「akoちゃん、ちょっと味見してみて。少し甘くないかな?」と私に意見を聞いてきた。私なんかに味がわかるわけがないのに笑。お弁当に入れてくれたおかずで印象に残っているのは、ささ身の中にチーズを入れたフライがとてもおいしくて覚えている。母よりおしゃれな料理を入れてくれた(そんなこと言って、お母さんごめん)。
私が高2の時、父が亡くなってからは、祖父母は毎月母に経済的な援助をしてくれていた。(それは祖父母からだけではなく、母の妹夫婦からも、弟夫婦からも、援助を受けていた。)
私が高校を卒業して就職してから、祖母は私に「おばあちゃんは、akoちゃんのためなら年金を全部使っても惜しくないよ。」と言ってくれて、人並み以上に立派な成人式の高価な着物もプレゼントしてくれた。赤やピンクはほとんど入ってなくて、白地で振袖のところに青っぽい牡丹の花の模様の、シックな着物で私はとても気に入っていた。いとこたちの結婚式にもそれを着た。
私は大学に進学したかったのだが、父が亡くなったために進学を諦めて就職し、24歳のときに家出をして県外で一人暮らしをしていた時期がある。その時、祖母から手紙が届いた。おばあちゃんがお金を出すから、短大に行ってみないかという内容だった。私はもう地元に帰りたくなかったし、家出した時にはもう大学はどうでもよくなっていたので、その手紙の返事は書かなかった。
1年ちょっとして結局地元に戻り、29歳の時に結婚したのだが、祖父母からのお祝いは、人が聞いたらびっくりするくらいの聞いたことのないような金額だった。母にできない支度金代わりのことをしてくれたんだと思う。本当に、私のためにいつも最大限のことをしてくれていた。
結婚してからは、転勤族だった夫について全国あちこち行っていた私だったが、40歳のときに体調を壊して実家に帰らせてもらった後、地元に家を建てたときは、もう祖父は亡くなっていたのだが、祖母は頭金を全額出してくれた。
祖母は美人で、音羽信子に似ていると言われていた。確かに子供の頃にテレビで音羽信子が出ていると、「おばあちゃんみたい」と思ったものだった。いつもきれいにお化粧していて、祖父が亡くなってからも施設に入る前の91歳までは自炊していた。私が訪ねて行って台所に立つおばあちゃんに話しかけたとき、おばあちゃんはお味噌汁に入れるにんじんを刻みながら、「にんじんの赤い色がお味噌汁の中から見えてだけでも、おばあちゃんは元気が出るよ。」と言っていた。自分の食べるものは、全部手作りだった。おばあちゃんの暮らしはとても質素だった。自分は質素にして、子のため、孫のためにたくさんのことをしてくれていた。
祖母は学生時代は足が速くてダントツの1番だったので、祖母の母は運動会が楽しみで仕方なかったらしい。
認知症になって施設に入ってから、途中からはあんなにかわいがってくれた私のことさえわからなくなってしまい、「どこのおばちゃんだ?トラちゃんか?」と言われたときは、さすがにちょっと悲しかった。
こんなおばあちゃんに、私は何か恩返しをしたことがあっただろうか。敬老の日にプレゼントするくらいで、本当に何もしなかった。おばあちゃんはたくさんの愛を私にくれて、しばしの眠りに就いた。こんなに大事にされたことを今朝久しぶりに思い出したら、私自身、もっと自分を大事にして生きようという気持ちを新たにした。


子供の讃美歌に、私の大好きな「感謝します」という曲がある。
2番の歌詞に「ふた親、きょうだい、友達など」とあるが、私にとっては親戚みんなだ。大好きな血縁者が一人も漏れずに御国に入れていただけるよう、私にできる精一杯をしていきたいと思う。


1.わたしのように小さな子でも
  真心こめて主を讃えれば
  主の御心にかなうでしょうか
  感謝します 感謝します 感謝します 神様。
2.小鳥の声やきれいなもみじ
  野菜、くだもの、海でとるもの
  ふた親、きょうだい、友達などを
  感謝します 感謝します 感謝します 神様。
3.何ものよりも 罪や過ち
  お赦しになるイエス・キリストを
  くださいました 父なる神に
  感謝します 感謝します 感謝します 神様。


私の人生、感謝することだらけだ。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」(テサロニケ人への手紙5章16-18節)聖書にはいいことが書いてあるな~